北方領土とは、日本固有の領土である、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島、その他内閣総理大臣が指定する「北方の地域」を指し、第二次世界大戦終了直後に、ソ連軍によって不法に占拠され、現在もロシアによる占拠が続いている。

1981(昭和56)年、2月7日を北方領土の日を制定した。これは、1855(安政2)年2月7日に「日露通好条約」が結ばれたことに由来し、この条約で両国の国境を択捉島とウルップ島の間に定め、ウルップ島より北の千島列島はロシア領と定め、択捉、国後、色丹、歯舞の四島は日本の領土であることが、ロシアとの間で法的に確定した歴史的意義を持つ日なのである。

ちなみに1635(寛永12)年、松前藩は藩士に命じ国後・択捉などを含む蝦夷地の地図を作成。

1644(正保元)年、各藩が提出した地図を基に日本の全版図を収めた「正保御国絵図」が作成された。このとき松前藩が提出した自藩領地図には、「クナシリ」「エトロホ」「ウルフ」など39の島々が描かれていたという。

1798(寛政10)年、幕臣の近藤重蔵が配下である最上徳内を案内役として調査を行い択捉島・丹根萌(タンネモイ)の丘に領有宣言を意味する「大日本恵登呂府」の標柱を立てている。