佐藤正克(さとうまさかつ)とは、1849(嘉永2)年 - 1906(明治39)年、北海道開拓使、伊丹町長。

1849(嘉永2)年、福井県武生(現・福井県越前市)に生まれる。

1870(明治3)年、武生騒動(1869(明治2)年の華族制度によりかつての大名は華族となり、福井藩主の松平茂昭(もちあき)は華族になったが、家老の本多副元(すけもと)は家来ということもあり士族扱い。これに不満を抱いた家臣、府中町民の間で暴動が起きる)で投獄される。

その後、北海道開拓使となる。約5年勤め、その間に天塩川から道北沿岸域、枝幸、利尻、礼文などの調査を行った。天塩川調査では、上川、中川郡を探検し、天塩川の水源や北見、石狩国へ抜ける道を探査するため越年調査をし、闢幽日記を著した。

1872(明治5)年、12月剣渕川上流から石狩川に通じる道を調査するが失敗する。

その後、朝鮮貿易に従事する。国の役人となり、兵庫県の伊丹町長となる。